草原の記(司馬遼太郎) 書作展出品作
<帰って来る話>
草原には固有に馬がいた
あちこちの半砂漠にもいたらしい
モンゴル人にとってモンゴル馬は
こよなき友で・・・
彼らの言うところでは、モンゴル馬は
良質の酪製品の様に
情に厚く・・・その心は神秘的だという
ツェべクマさんと一緒に
ウランバートル郊外に出かけた
たまたま年に一度の草原の祭りである
草原にはいっぱい人馬が群れていた
ナーダムの真っ最中で
草原の一角に人馬が集まっていた
ナーダム競馬の出発点は山ふところにあって
大草原の中のポケットのような小さな草原だった
出発点に向かって市街地の舗装路を騎走してゆく人もあれば
道のわきの草地をゆっくり馬を打たせて出発点に向かっている家族もおり
中には 3,4キロ向こうから来たという人達もいた
たれもが静かで・・・
農業地帯の祭りのように
お喋りをしたり、鳴り物を入れたりする事が無く・・・
サイレント映画を観ているようである
馬たちの祭りでもある
少年少女が騎手となり
無数の馬が
30、40キロのコースを一気に駈け抜けるのである
馬が釣られるようにして繋がれている
モンゴル馬の従順さというのは
どこか滑稽でなくもない
馬たちは人に従う為に生まれてきたかのようにうなだれている
飼い主たちの馬に対する記憶力は卓越していて
何百頭飼っていようが我が子同然
こまかく識別できる
他の国ではふつう
馬の休息所は厩舎である
そこでは馬はしばしば足掻く
『モンゴルの馬は足掻きませんな』 ツェべクマさんに言った
彼女は目の前の栗色の若駒を さも可愛げに見つめながら頷いた
「人間のようにわがままじゃありません」 彼女はゆっくり言った
もう一つ質問をしてみた
『あんなにじっとしていて、何を考えているのでしょう』
「子供の頃に遊んだ草原のにおいなどを思い出しているんです」
「ここの馬が・・・」
「このモンゴル高原が大好きだと言う事だけは確かです。モンゴル馬にとってモンゴルの草や空気が性に適っているんです。ひょっとすると・・・ここの馬は、飼い手のモンゴル人が大好きなのかも知れません。」
後は大笑いした。
が、すぐ真顔になって、
なにがしという馬は
はるか遠くに売っておじさんが安心しているとある日、その馬は元の仲間に混じって草を食んでいたというのでたれもその馬を買わなくなった。
更にツェべクマさんが言うのには、ベトナムのハノイから、ただ一頭でモンゴル草原に帰って来た馬がいると言う
馬にはふつう帰巣本能があるとはされていない
ベトナム戦争時、モンゴル人民共和国には金も物資もないため多くの数の馬を送ったという
送られた馬たちはハノイでは荷運びに使われたらしいが、
その内の一頭が役目を終えたあと・・・この高原に帰って来たという。いや、一頭だけでなく、何頭も帰って来た。
馬が世界地図を持っているわけでもなく、途中、人に道を聞きながら行けるわけでもないのに・・・
どうして故郷に帰りつけたのだろう <司馬遼太郎>
★★★追伸
このナーダムですが、ほんの5?6?才の少年、少女(←これ凄い)から参加して草原を突っ走る、ひたすら突っ走る・・・駆け抜ける競技なのですが、これはもう半端じゃないです。
30,40キロを駆け抜ける訳ですからね、子供が。。。馬が。本当に司馬さんじゃありませんが、決勝点に飛び込んで息絶えて死ぬ馬もいる、凄まじい競技だ。
そして・・・私が最も言いたい事は、この競技で優勝者が決まった直後にですね、
見ていると・・・息も切らせぬタイミングで、、、大会委員長の祝福が待っている事です。
総理じゃないけど、メモなどあろう筈も無く、ソノ時点で思った祝いの言葉の即興唱です。そして優勝した子供も神妙に聞いていて、又即興唱で感謝の唄を返すのである。式典はそれのみ。実に潔いし、小気味良い。爽やか。感動的。よくあるような、賞品や、賞金の類は一切無い。優勝者の誉はたった一つのその祝福の言葉のみ。言葉と言いましたが、唱のような独特なもの。この褒め唱を委員長は騎手にでは無く、むしろ馬にむけて捧げられるのだ。 あーーー、何て素晴らしいお祭りだろうね!・・・・・・・・・<ウルフのスナフ>★★★
今日も最後までお付き合いくださいまして大変嬉しく思います。心より感謝します。(涙)
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by karkowitch | 2008-11-14 12:19 | ピュアな心